父の建築物と私の石像
会社で以前注文していたけどキャンセルになった塗料や設備を使って、上物だけなら半額くらいで建ったらしい。
へーおとく!
建築士という仕事は、一から設計して、その人や会社の暮らしを作って、すごい仕事だな、と今になって思う。
しかし王貞治は、そういう仕事の良さとかロマンを家で語らず、社長と気が合わない話とか、病院の改築で病院の役員間で希望が違って板挟みがキツいとか(実際胃潰瘍になってたのでほんと大変やったと思うんですけど)、責任重くて家庭がなければこの仕事もう辞めてるとか、そんなネガティブな話が多く、小さい頃からから障子張り替えたりDIYとか工作好きなティーヌでも、
建築士になりたいとは思わなかった。
働き出したら転勤族でこれまで10回ぐらい引っ越しを繰り返し、いろんな部屋に住んだことで、家によって住みやすさ、暮らしぶりも変わっていって、ひとの暮らしを作ることのできる建築の仕事はすごく素敵だな、と思うようになった。
普通科高校卒業して20年近く経つ頃に笑
もっと早くにそういうことに気づいていたら、もう少し変わっていたかな、と、たらればで思う。
王貞治は2年前に肺がん末期になった。
今年6月に抗がん剤がうてなくなり、がんが脊椎に侵襲し、先月から下半身麻痺になり、
別れは遠くないことを感じる。
しかし、王貞治が携わった建築物はずっと残っていって、そこで暮らす人がいたり、遊ぶ子どもたちがいたり、地域の人が集ったり、
ティーヌはその建築物に触れたり近くを通る度に王貞治を思い出すだろうし、
今はまだ幼いティーヌのこどもたちの記憶に、王貞治は残るのか難しいが、そういった建築物を通して王貞治のことを伝えることができるし、
やっぱり建築士という仕事ってすごいな、何か残る仕事いいな、と思う。
そして人の時間も有限、
体が自由に動く時間も有限、
真剣に人生と向き合わなくては。
ティーヌもそういう何かを残したいな。
ダメだったらどっかにティーヌの石像でも自分で彫って残そうかな。
こんなの。
そして子どもたちに、この像の説明で困らせたい。
「…自己顕示欲の強いティーヌ婆さんて人が昔いてだね…。」
プププ。